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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)5221号 判決

原告

全国社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部

右代表者支部長

橋本巌

原告

西野敏幸

右原告両名訴訟代理人弁護士

河村武信

(ほか三名)

被告

社会保険診療報酬支払基金労働組合

右代表者中央執行委員長

岸伊知郎

被告

社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部

右代表者執行委員長

和多田正彦

被告

張間武

被告

井上守

被告

泉本国男

右被告五名訴訟代理人弁護士

相馬達雄

右訴訟復代理人弁護士

山本浩三

(ほか三名)

(以下、原告全国社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部を「原告組合」と、被告社会保険診療報酬支払基金労働組合を「被告基金労」と、被告社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部を「被告基金労大阪支部」と各略称する。)

主文

1  被告基金労、同基金労大阪支部は原告組合に対し、各自金二〇万円及びこれに対する昭和四七年一二月二七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告張間武は原告西野敏幸に対し、金三万二七二三円及びこれに対する同年一一月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  原告組合の被告基金労、同基金労大阪支部に対するその余の請求並びに原告西野敏幸の被告張間武に対するその余の請求及び同井上守、同泉本国男に対する各請求は、いずれもこれを棄却する。

4  訴訟費用は原告西野と被告井上、同泉本の間においては同原告の負担とし、原告らと他の被告らとの間においては、原告らに生じた費用を五分し、その二を被告基金労、同基金労大阪支部、同張間武の、各連帯負担とし、その余を各自の負担とする。

5  この判決は、1、2項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一申立

一  原告ら

1  被告基金労は原告組合に対し、別紙(一)記載の謝罪文を、同被告の機関紙「うずしお」に掲載し、かつ縦六〇糎以上、横九〇糎以上の木板に墨書して同被告の各支部の掲示板に七日間以上掲示せよ。

2  被告基金労大阪支部は同原告に対し、別紙(二)記載の謝罪文を縦六〇糎以上、横九〇糎以上の木板に墨書して同被告の掲示板に七日間以上掲示せよ。

3  被告基金労、同基金労大阪支部は同原告に対し、連帯して、金六〇万円及びこれに対する昭和四七年一二月二七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  被告張間武、同井上守、同泉本国男は原告西野敏幸に対し、連帯して、金一〇万二七二三円及びこれに対する同年一一月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに3、4項につき仮執行の宣言。

二  被告ら

1  本案前の答弁(被告基金労、同基金労大阪支部)

原告組合の本件訴を却下する。

2  本案に対する答弁

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

《以下事実略》

理由

第一本案前の答弁について

一  当事者能力

原告組合が全国単一組織の労働組合である全基労の一支部であることは当事者間に争いがないが、(証拠略)を総合すると、原告組合は大阪基金職員及び支部大会で認めた労働者をもって組織され、その加入は支部長宛の申込み、脱退は原告組合を通じて全基労中央執行委員長宛の届出と支部執行委員会の承認を要すること、原告組合には、全基労とは別に独自の原告組合の規約、支部大会の決議機関、支部執行委員会の執行機関があり、原告組合及び財産を管理、運営し、対外的には支部長が原告組合を代表し、一定の範囲で独自に行動しうること、なお、これまで原告組合が申立人となって提訴した当庁及び大阪地労委に係属した事件においても当事者能力が問題とされたことはないことが認められ、右事実によれば、原告組合は全基労とは別に相対的にせよ独自の社会的機能を果しているのであるから、権利能力なき社団の実態を有し、民事訴訟法四六条にいう法人格なき社団として訴訟上の当事者能力を有するものといわねばならず、被告基金労、同基金労大阪支部(以下、両被告を指すときは「被告ら組合」という)の主張は理由がない。

なお、(証拠略)を総合すると、被告基金労大阪支部は全国単一組織の労働組合である被告基金労の一支部であるが、権利能力なき社団の実態を有し、右法条により当事者能力を有することが認められる。

二  原告適格

(証拠略)によれば、本件二種のステッカーには「新人のピンハネ反対」、「定率支給は若い者がそん」の文言に加えてそれぞれ「全基労」と記載されているが、右各ステッカーは昭和四七年の六月期末手当金闘争に際して原告組合が大阪基金における独自の活動として展開したもので、全基労の活動の一環としてなしたものでないことは後記第二、三認定のとおりであり、なお右事実によれば、右「全基労」との記載部分は六月期末手当における全基労側の要求及びステッカーの貼付主体が被告ら組合でないことを明らかにするためのものに過ぎないと推認されるから、本訴につき原告組合が原告適格を有することは明らかであり、この点の被告ら組合の主張も理由がない。

第二本案について

一  当事者

請求原因1の事実は当事者間に争がなく、原告組合が全国単一組織の労働組合である全基労の一支部であることは前認定のとおりである。

また、(証拠略)によると、昭和四七年五月の本件当時全基労は全国に一四支部、約九〇名余の組合員を有していたこと、被告基金労も全国単一組織で、各都道府県毎に支部(四七支部)を有し、その組合員数は約四〇〇〇名で、基金には他に労働組合はないことが認められる。

なお、社会保険診療報酬支払基金法(昭和二三年法律第一二九号)によれば、基金は政府健康保険組合等が健康保険法等所定の法律に基づいてなす療養の給付等の費用について、療養の給付を担当する者に対して支払うべき費用の迅速、適正な支払をなし、あわせて診療報酬請求書の審査を行うことを目的として設立されたいわゆる政府関係特殊法人で(同法一、二条)、主たる事務所を東京都に、従たる事務所を各都道府県に置いており(同法三条)、大阪基金は大阪府における基金の従たる事務所である。

二  本件不法行為の背景(請求原因2、(一))

1  (証拠略)を総合すると、次の事実が認められる(但し、一部事実摘示記載の争いのない事実を含む)。

(一) 組合員の集団脱退と被告基金労の結成

(1) 全基労は、基金設立後の昭和二五年に全国単一組織の労働組合として結成されたが(但し、当初は全国社会保険診療報酬支払基金職員組合と称し、昭和三一年四月に全基労に名称を変更したもの)、当初はいわゆる職制等の年長者が組合役員をし、目立った活動もしていなかった。

ところが、昭和三四、五年頃、広島県社会保険診療報酬支払基金幹事長に対する解任要求がきっかけとなり、昭和三五年には初の賃上げ要求をし、以後職場の諸要求等と積極的に取り組み、また組合役員に若手組合員が選出されたりして活発な組合活動を展開するようになり、戦術的にも、昭和三六年一月賃上げ闘争において初のストライキを行なったのを始め、以後の諸闘争において時限スト、時間内喰込職場集会、順法闘争、ステッカー闘争等多彩な戦術を採用し、団体交渉も幹事長室に大勢の組合員が入って基金側をつるし上げるなど集団的に、時には半日、一日中、更には連日にわたって行なわれた。また、昭和三六年には同年できた政府関係特殊法人労働組合協議会に加盟し、以後その中心的役割を果した。

(2) 一方、右のような全基労の動きに対し、昭和三七年に開かれた基金の全国幹事長会議において、基金常務理事は全基労の組織、運営の現状を批判し、その体質改善ないし善導の必要を述べ、それを受けて、例えば、大阪基金においてはいわゆる職制を中心に全基労の活動に批判的な組合員が刷新同盟を結成し、全国的にも職制が役員選挙に立候補したりする動きが出てきたが、全体としてこれまでの全基労の活動を変えるまでには至らなかった。

(3) その後、全基労と基金とは益々対立の度を深め、また(1)記載のような各種争議戦術を採用し、全基労内部で積極的に各種闘争を推進していこうとする組合員(その中には日本共産党員、日本民主青年同盟員ないしこれに同調する組合員が含まれている)と、これに批判的な組合員との対立緊張、あるいは組合中央の指導力の低下等により職場は混乱し勝ちとなり、業務も慢性的遅延状態に陥ったため、政府、健康保険組合等関係諸機関から厳しい批判が出されたりした。

そうした折りの昭和三八年七月、基金のなした大阪、兵庫の全基労組合員に対する懲戒処分に対する取り組みをめぐって全基労内部での思想的対立が顕著となり、これに関し大阪では公然と中央の決定に反する動きがなされ、更にその頃中央執行委員及び書記長による組合費の使い込み等組合財政の運営に対する疑惑が表面化したため、中央の三役以下過半数の中央執行委員が辞任し、その後熊本で開かれた中央執行委員会もただ紛糾しただけで実質審議に入ることもできず閉会し、何ら事態を収拾することができなかった。

(4) 右のような事態の中で、右の各種闘争を推進せんとするグループに批判的な組合員は、基金理事者を初めとする基金当局側と相談、打ち合わせのうえ、秘密裡に全国的な全基労からの集団脱退、新組合の結成を一計画し、これに同調する組合員に呼びかけ、昭和三九年三月二五日広島、岡山で集団的に組合員が脱退し新組合を結成したのを初めとして、これに呼応して全基労の各支部で多数の組合員の集団脱退、新組合の結成が相次ぎ、これら新組合が集って同年五月一日被告基金労を結成した。これにより同被告結成前三千数百名の全基労組合員は約八〇〇名に減少し、更に一年後には約二九〇名となり、他方同被告組合員は約三五〇〇名に増加した。

なお、同被告は昭和四三年一〇月全日本労働総同盟組合会議(同盟)に加盟している。

(二) 被告基金労結成後の経緯

(1) 基金は、被告基金労結成後、同被告が基金を対立視せず、むしろその発展の中に労働者の経済的、社会的地位の向上を目指すことを基調とし、反共産主義をとっていたことから、同被告と協調的であるが、基金をどちらかといえば対立視し、日本共産党員らのいる全基労を嫌忌し、人事、賃金、昇任、昇格、更には職場生活の全般にわたり差別的態度をとり、また団体交渉においても先ず多数組合の被告基金労と妥結し、その結果を全基労に押しつけてくる傾向にあった。

他方、被告基金労も、右基本方針から基金を必ずしも対立視せずこれに協調的である(例えば、昭和三九年八月基金が就業規則の全面的改正をし、また各基金事務所につき事務所等管理規程を制定して管理体制を強化した際、全基労はこれに反対したが、同被告は反対しなかった)が、反共産主義の立場から右のような全基労を敵視し、昭和四二年九月の全国大会においてその対決姿勢と方策(例えば、全基労組合員とはクラブ活動、レクリエーション等を一切一緒に実施せず、私生活面でもできるだけ排除し、全基労の教宣ビラ等を受け取らず、組合活動においても一切の共闘を拒否する)を組織確認し、全基労組合員と一緒に食事をし雑談をした者、あるいは地労委係属の基金と全基労の訴訟につき全基労側証人となった者を統制処分に付するなどし、その徹底をはかっている。

(2) 右のような全基労と基金及び被告基金労との対立は大阪基金においても見られ、原告組合の組合活動、組合員の昇給、昇格、職場での配席、各種の行事、サークル活動、あるいは職場単位の忘年会、レクリエーションへの参加、慶弔事の取り扱い等にわたって、他の職員、すなわち被告基金労大阪支部組合員と必ずしも平等に扱わず、あるいは同被告組合員がこの点差別するのを放置した(大阪基金は、原告組合との関係で、まず組合活動については、後記機関紙配布に関してなした原告組合員に対する懲戒処分につき大阪地労委昭和四二年(不)第二八号事件で昭和四五年三月一三日、ステッカー貼付に関して同地労委昭和四九年(不)第一号事件で昭和五〇年九月五日、組合員の昇給、昇格に関して同地労委昭和四六年(不)第五一号及び昭和五〇年(不)第三六号併合事件で昭和五二年三月一〇日、それぞれ同地労委から不当労働行為と認定されている。)。

他方、被告基金労大阪支部もまた右被告基金労の全国大会での対全基労対策を受け、職場での各種行事、サークル活動、慶弔事の取り扱い等職場、あるいは日常生活にまでわたって原告組合員を排除し、また、機関紙等で反共の立場から原告組合の活動等を厳しく批判してきた。

(3) なお、原告組合と大阪基金及び被告基金労大阪支部との対立によって生じた事件として次の例がある。

(イ) 原告組合は、昭和四〇年一月二五日以降大阪基金の全従業員に対する教宣活動として日刊の機関紙「鉄筆の仲間たち」を発行してきたところ、その日常活動のためか、昭和四一年九月の基金共済会の近畿地区労働者委員の選挙で、大阪基金で当時組合員一八名の原告組合から立候補した橋本巌が一二〇票を獲得したが(被告基全労大阪支部から立候補した田畑直次は一八〇票)、その後の同年一〇月頃から右機関紙の印刷をめぐって原告組合と大阪基金当局との間でトラブルを生ずるようになり、これに関連して同年一二月二三日付で当時の原告組合支部長橋本巌、同書記長原告西野、同教宣担当執行委員久保正弘に対し懲戒処分がなされ(後、これが不当労働行為と認定されたことは前記のとおり)、他方、発刊以来右機関紙を格別問題としていなかった被告基金労大阪支部は、昭和四二年四月右機関紙に被告ら組合を批判し、組織介入をはかる記事が掲載されているとして、以後右機関紙等を受け取らないよう組織決定をし、原告組合の組合員が配布した機関紙を破り、あるいは配布を実力で阻止し、他方、同原告の機関紙等を受け取った同被告組合員を除名処分にしてその徹底をはかった。

(ロ) 原告組合は、昭和四五年一月、賃上げ闘争に際して大阪基金建物内に無許可でステッカーを貼付し、大阪基金がこれを認めないとして撤去し、同原告がまたこれを貼り直すといったことが繰り返された際、被告基金労大阪支部組合員らは当時の原告組合支部長橋本巌に、ステッカーを貼ると事務所が汚なくなるといって抗議してきた。

(4) もっとも、原告組合もまた被告ら組合に対し、右機関紙、教宣ビラ等で同被告らの同盟加入、組合幹部の基金に対する姿勢、あるいは賃金闘争に対する取り組み等を御用組合であるとか、基金とゆ着しているなどと批判してきた。

以上のとおり認められ、(人証略)の各証言中右認定に反する部分は容易に措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

2  以上認定の事実によれば、被告基金労結成にいたる全基労からの組合員の集団脱退が脱退者の意思に基づくものであるにせよ、そこに全基労との対立を深めていた基金当局の好意的配慮が働いていたことは疑いえないところで、基金にとって、使用者を必ずしも対立視せず、反共の立場から全基労と厳しく対立する被告基金労の結成は好ましいことであり、少数組合となった全基労及びその組合員の活動を抑制するうえで好都合であったし、他方右のような基本方針から全基労に対し厳しい対立、対決姿勢を示し、全基労の抑制、排除をはかる圧倒的多数組合である被告基金労にとっても、右のような基金の全基労に対する姿勢は歓迎すべきものであり、この点において両者の利害は一致し、全基労及びその組合員に対する差別、攻撃面において、結果的に同一歩調をとったようなところもあり、従ってまた、全基労が両者を一体となったものとみなしたとしても同組合の立場としてもっともな面があったといわなければならない。

もっとも、右のような全基労に対する差別、攻撃が基金及び被告ら組合の共同意思に基づくとの点については、個々的な事例においてその疑いがないではないが、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。

なお、被告ら組合は全基労の攻撃に対し常に防禦する立場にあった旨主張するが、その理由のないことは右認定事実に照らし明らかというべきである。

三  本件不法行為に至る経緯(請求原因2、(二))

(証拠略)を総合すると次の事実が認められ(但し、一部事実摘示記載の争いのない事実を含む)、他にこの認定を左右する証拠はない。

1  全基労は基金に対し、昭和四七年五月一一日(以下、日時につき年度の記載のないのはすべて昭和四七年の該当月日を指す)、「基準月額の二・五カ月分と一律定額四万円」の支給、支給対象期間を六カ月とするなどの要求書を提出して同年度の六月期末手当の交渉に入ったが、これに伴い、原告組合は全基労の右要求の実現に向け大阪基金における独自の活動としていわゆるステッカー闘争をすることとし、同月一二日大阪基金事務所等管理規程四条に基づき、同基金幹事長に宛てステッカー一五〇枚の貼付許可申請をしたが、同基金が「時間が早い」、「ステッカー貼付は全国統一でやるのが慣行ではないか」などといって期限を明らかにしないまま態度を保留したため、同月一六日これに抗議すると共に、右許可のないまま本件二種のステッカーを含むステッカー約一〇〇枚を同基金建物内に貼付した。これに対し、大阪基金は翌一七日早朝に右ステッカー全部を撤去したため、原告組合は同基金の責任を追及したが、同月二四日、各階平均一〇枚以内等の条件付きで許可されたため、同日本件二種のステッカーを含むステッカー四〇枚を同基金建物各階(四階)のロッカー、ドアー、衝立等に平均一〇枚位ずつ貼付した。

2  ところが、大阪基金は翌二五日、原告組合に対し書面で「『新人のピンハネ反対』のステッカーは、字句意味あいとも真に不穏当なものであるばかりでなく、全く事実をわい曲し基金を誹謗するものである。かかるステッカーはただちに撤去するよう通告する。なお、全基労自ら撤去しない場合は基金側で撤去することを併せ通告する。」との通告をした。原告組合は右通告に応じなかったところ、同基金は同日午後五時過頃、右貼付ステッカーのうち「新人のピンハネ反対」のステッカー全部(九枚)を撤去した。

3  原告組合は右のような大阪基金の行為は表現の自由、組合活動への介入であると考え、同日同基金らを相手方として大阪地労委に右貼付ステッカーの実効確保の措置申立を行ない、翌二六日、同委員会公益委員の勧告、斡旋により同日午後四時から大阪基金と団体交渉をした結果、同基金は右「新人のピンハネ反対」のステッカーを原告組合に返還すると共に同ステッカーの貼付を認め、撤去しない旨約束した。

4  なお、大阪基金の右ステッカー撤去行為は、大阪地労委昭和四九年(不)第一号事件において昭和五〇年九月五日同地労委から、同原告組合の自主運営に介入するもので労働組合法七条三号の不当労働行為であると認定されている。

四  第一ないし第三回ステッカーの撤去及び暴力行為(請求原因3、(一))

1  請求原因3、(一)、(3)及び(4)の各事実並びに被告基金労大阪支部により、第一、二回ステッカーの撤去が行なわれたことは当事者間に争がない。

そこで、以下第一、二回ステッカー撤去の事情と暴力行為の成否につき判断する。

(一) 右請求原因3、(一)、(4)の事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる(但し、一部事実摘示記載の争いのない事実を含む)。

(1) 五月二四日原告組合が大阪基金建物内に貼付したステッカーを見た被告基金労大阪支部の一部組合員から、右ステッカーのうち本件二種のステッカーは被告基金労と基金とが採用している期末手当の「一二か月方式」及び「定率支給方式」の反対に名を借りて被告ら組合の組織に介入するものであるとの批判がなされたため、同日被告基金労大阪支部執行委員長阪口嘉昭(以下、「阪口委員長」という)が被告基金労の近畿地連議長であった被告井上とはかり被告基金労の三役役員ら執行部に指示を仰いだ結果、同月二五日午前、原告組合に抗議し、これに応じない場合は本件二種のステッカーを実力で撤去するよう指示を受けた。そこで、被告組合は原告組合に対し書面で、本件二種のステッカーは「われわれ基金労組に対する組織介入であると同時にわれわれ組合員に対する重大なるぶじょくである。したがって昭和四七年五月二五日一九時までに撤去するよう通告する。なお、自ら撤去しない場合はわれわれ基金労組が撤去する。また、これに関する一切のトラブル及び責任は貴労組にあることを承知しておくこと」との通告をした。

右通告は前認定の大阪基金からの撤去通告と同日、同通告後になされた。

(2) 原告組合はこれに対しても応じなかったところ、同月二六日阪口委員長は支部執行委員とも相談のうえ本件二種のステッカー撤去を決め、同支部執行委員らに「定率支給は若い者がそん」のステッカーの撤去を指示し、同執行委員らは同日午前一〇時三〇分の休憩時間中に同ステッカー全部(八枚)を撤去した。

(3) 右ステッカー撤去後、阪口委員長は同日午後三時の休憩時間に大阪基金三階事務所で原告組合の山田書記長に右撤去したステッカーを返還すると共に、今後同ステッカーを貼付しては困る旨申し入れ、これに対し同書記長が抗議したが、同書記長を取り囲んでいた被告基金労大阪支部執行委員らから「取って何が悪い」、「通告してあるではないか」などと逆に反撃され、若干のやりとりの後物別れとなったが、その際原告組合の組合員稲田隆治は右やりとりの状況を写真機で撮影した。

なお、右やりとり終了後、原告組合は直ちに同被告及び大阪基金から返還されたステッカーを含む本件二種のステッカー二一枚を再度大阪基金建物内に貼付した。

(4) ところで、翌二七日(土曜日)、同被告は午後零時三〇分ないし三五分頃から大阪基金三階事務所で同被告組合員の殆ど全員の約三〇〇名が出席して職場集会を開き、阪口委員長が六月期末手当及び本件ステッカー問題の経過報告をした後、古い組合員が中心となって大阪基金建物に貼付してある本件二種のステッカーを撤去すること、原告組合の組合員らから抗議を受けた時の答弁方法及び前日稲田に撮られた写真のフィルムの返還を要求すること、暴力行為は絶対慎しむことなどを指示し、午後零時四〇分頃一応右集会を終え、右指示を体した一部組合員は直ちに同建物各階に赴き右ステッカー全部(二一枚)を撤去した。

なお、他の組合員の一部は右集会の終了後各階の自己の職場に戻ったが、三階事務所には約一七〇ないし二〇〇人の組合員が残っていた。

(5) 一方、大阪基金二階の審査委員会室で集会を開いていた原告組合の組合員は、午後零時四〇分過頃、被告基金労大阪支部組合員による右ステッカーの撤去を知り、まず原告西野、大野、稲田が、次いで長谷川支部長、橋本、山田、久保が相前後して三階事務所に上がり、原告西野、大野は、同事務所東側の阪口委員長の席に近づき、同席の東側に同被告組合員の撤去してきた右ステッカー数枚を所持して立っていた阪口委員長に対し、「何故ステッカーを取るんだ」などと抗議したが、同委員長から「通告してある」、「取って何が悪い」などと反論されると共に同被告組合員ら約一〇名に取り囲まれ、若干のやりとりがなされたが、この時同委員長席の西側にいた稲田が予め携えてきた写真機で机越しに右やりとりの状況を撮影し始めたため、これをみた同被告組合員ら約三〇名が同人を取り囲み、更にその付近を約一〇〇名がとり巻いて、「何故撮影する」、「ネガを返せ」、「取って何が悪い」などと口々に抗議し、他方稲田その他の原告組合員らからも「何故全基労のステッカーを取るんだ」、「お前らの暴力を写すのだ」などの反論が出され、言い争い、こぜりあいとなったため、稲田は写真撮影を続けることができなくなった。

(6) 阪口委員長席の東側にいた原告西野は、これをみて同委員長席の机越しに稲田から写真機を受け取り、右状況を撮影しようとしたため、今度は同原告の方に押し寄せてきた同被告ら組合員らから口々に「ネガを返せ」、「ステッカーを剥がして何が悪いんだ」、「アホ」、「ボケ」、「やってしまえ」などと野次られ、こずかれたり、引っ張られたりしながら同事務所の諸法班と企画班の机の間を通り、更に諸法班の机と同事務所東壁との間(約一・五米)を通って同室東北隅(同所は約一米四方のところ)に押しやられ、これに相前後して右稲田、橋本ら原告組合員も同所へ押しやられていったが、その際同原告の傍にいた被告泉本は「ネガを返せ」、「取って何が悪いんだ、ボケ」などといいながら同原告の手を引っ張り、体当りをし、肩で突くなどし、更に諸法班の机とロッカーとの間(約一米足らず)を通って西側から同原告に近づいた被告井上は、「一体お前ら何やっとるねん」といいながら腹や左肩で同原告に体当りするなどして、それぞれ暴行を加えた。

(7) その後も、同原告は同被告組合員らに同所に押し込められていたので、後ろ向きになりながら写真機を頭上にあげて状況を撮影していたが、同所にはボテ箱が置いてあり足許が危ないため、写真機を抱えるようにして西側に約二米移動した際、背後にいた被告張間から押されて前に倒れそうになったので、「押すな」といいながら後ろを振り返り同被告と向かい合うような形になったところ、憤激した同被告は「なにー」といいながら右手拳で同原告の左頬部を一回殴打し、更にもう一度殴りかかろうとしたが、同被告の後ろにいた阪口委員長が羽交締めにしてこれを制止した。

(8) これを見た長谷川支部長ら原告組合の組合員らは、「殴った」、「警察に電話せえ、一一〇番せえ」などと抗議し、同組合員らを取り囲んでいた同被告組合員らが右事態に一瞬ひるみ囲みのゆるんだ隙に同事務所から逃げ出し、大阪基金幹事長に右事態を訴えるため階段を駆け降りて一階幹事長室に入り、同基金の管理責任を追及すると共に右の暴力行為に対する措置をとるよう要求したが、これと前後して、「あと一〇分だ、やってしまえ」、「ネガを返せ」などといいながらその直ぐあとを追いかけて同室に入ってきた同被告組合員らとの間で再びこぜりあいが繰り返され、更に同基金の要請により同室から退去した後も再び右状態が繰り返され、原告組合の組合員らは通用門の外へ追い出された。

(9) 原告西野は被告張間の右暴行により左頬部打撲傷の傷害を受け、その加療に約五日間を要した。

また、原告西野らが写真機を持ち込み撮影したのはこれまで大阪基金に被告ら組合員による不当を訴え改善要求をしても現認していないなどといって取り上げて貰えなかったため、本件ステッカー撤去や被告基金労大阪支部組合員とのやりとり状況の証拠とし、大阪基金等に同被告の不当を訴えるためであった。

以上のとおり認められる(以下、第一ないし第三回ステッカーの撤去を「本件ステッカーの撤去」とも、被告張間、同井上、同泉本らの原告西野に対する右暴行を「本件暴力行為」ともいう)。

(二) 原告組合は、本件ステッカーの撤去及び暴力行為は被告ら組合と基金とが一体となった全基労攻撃の現われの一つである旨主張し、「新人のピンハネ反対」のステッカーの撤去に大阪基金が加担したことは前認定のとおりで、この事実に前記二、三認定の事実を総合すると、同原告が右主張をなすことにも一理なしとしないが、本件全証拠によるも両者が意思を通じて右行為をなしたと認めることはできない。

また、被告張間、同井上、同泉本の暴力行為につき同被告らは共謀してなしたものである旨主張するが、本件全証拠によるも右の事実を認めることはできず、却って、前認定事実から明らかなように、右行為は計画的意図的なものではなく、偶発的なものであったと認められる。

更に、被告らは、被告基金労大阪支部の職場集会は午後一時までのものであり、本件二種のステッカーを撤去してから原告組合に対する抗議等の措置を決めるため一時休憩している所へ原告西野らが侵入してきた旨主張し、(証拠略)によれば、三階事務所の使用に関する大阪基金の許可は午後零時三〇分から同一時までであることが認められ、前記代表者阪口及び被告井上各本人の供述中には右主張に沿う部分もあるが、前掲証拠によれば、前記集会に先立ち前日午前一〇時の休憩時間中に被告基金労大阪支部がその組合員に右集会の連絡をした際、集会時間は午後零時三〇分から一〇分間程度のものである旨告げていること、阪口委員長は右集会での前記報告、指示を終えた後、一般組合員に対し更に集会を続行するか否か、その後何をするかについて何らの指示をしていないこと、そのため、右報告、指示の後右指示を体した一部組合員は直ちにステッカーの撤去に向ったが、これと共に他の一部組合員は各階の自己の職場に戻り、阪口委員長も集会中三階事務所中央南寄りに設営されていた座長席から同事務所東側の自席に戻り、同所に残留していた組合員も自席についたり、立ってふらふらしていたこと、同所には前認定のとおりなお一七〇ないし二〇〇人の組合員が残留していたが、同所に職場のある人員はほぼこれに相当し、当日は午後も殆んどの人が残業する必要のあったこと、本件二種のステッカー撤去は職場集会の決議に基づくものではないことの事実が認められ、右事実によれば、撤去してきたステッカーの事後処理問題を検討する余地のあったことは推認されるが、職場集会自体は一応終了し散会となったものと認めるのが相当であり、これに反する右供述部分は容易に措信できない。

また、被告井上、同泉本が原告西野に暴行を加えたことはなく、被告張間もたまたまフィルムを返すよう迫って伸ばした手(平手)の先が同原告に触れたことがあったとしても殴打したことはなかった旨主張し、前記代表者阪口、被告井上各本人の供述中にはこれに沿う部分もあり、その理由として原告西野の暴行を受けたと称する三階事務所東北隅付近は約一米四方の狭隘な所であるうえ、同原告が東西両側から稲田、橋本に挾まれていたため原告西野に近づくことはできなかった旨供述し、このことは同原告に近づくことはできなかったとの点を除き前掲証拠によっても肯認できるところであるが、前掲証拠によれば、同所は狭いといっても余人が同原告に近づくことが全く不可能な程ではなかったし、また同所付近では原、被告双方組合員がひしめきあっていたのであるから、前認定の暴行に及ぶ余地がなかったとすることはできない。また、被告張間の暴行については、右阪口、井上も同被告の手が原告西野の頬付近に触れたこと自体は認めているが、単に手が触れただけでは前認定のとおり阪口委員長が同被告を羽交締めにして制止したり、その直後「殴った」とか「警察に電話せえ、一一〇番せえ」などとの抗議がなされ、囲みがゆるむこともなく、同原告が前記負傷をする筈もないこと、更に右代表者阪口、被告井上の各供述内容にも相互に相当喰い違いのあることなどからみて右各供述部分は容易に措信できない。

また、(証拠略)中にも右各主張に沿う部分もあるが右記載部分は前記代表者阪口、被告井上の各供述等に基づくものであるから、容易に措信できない。

その他、前記代表者阪口、被告井上各本人尋問の結果中、前認定に反する部分は容易に措信できず、他に前認定を覆すに足る証拠はない。

2  以上によれば、本件ステッカーの撤去は原告組合の正当な組合活動に対する妨害行為で、同原告の団結権等を侵害する不法行為というべきである。

また、被告張間、同井上、同泉本の原告西野に対する暴行が不法行為を構成することはいうまでもないが、右行為は原告組合の組合活動をしていた原告西野に対してなされたものであるから、同時に原告組合の組合活動を妨害し、その団結権を侵害するもので不法行為を構成するといわねばならない(原告西野以外の原告組合の組合員らとの間でなされたこぜりあい等については、違法性を認めるに足りない)。

3  そこで、被告らの抗弁及び主張について判断する。

(一) 第一回ステッカーの撤去の違法性の有無についてみるに、(証拠略)を総合すれば、大阪基金建物内にステッカー等を貼付するには大阪基金事務所等管理規程四条により事前に枚数、貼付ステッカー等の実物を呈示して同基金幹事長の許可を要することが認められ、原告組合が同基金幹事長の五月二四日の許可に基づき同月二五日貼付したステッカーのうち、同基金幹事長が不適当としてその撤去を通告し、かつ同基金当局自ら撤去したのは「新人のピンハネ反対」のステッカーのみであることは前記三、2に認定のとおりであり、右許可が不可分一体のものでないことは右事実から明らかというべきであるから、右通告及び撤去が右許可の取消しに当るとしても、それは右「新人のピンハネ反対」のステッカーに関する限りのものであり、その余のステッカーの貼付許可に消長をきたすものではないというべきである。

してみると、第一回ステッカー撤去で撤去された「定率支給は若い者がそん」のステッカーは、なお大阪基金の許可に基づくものであるから、被告ら組合の主張は理由がない。

(二) 次に、正当防衛の成否について判断する。

(1) 抗弁及び主張2、(一)、(1)及び(2)の事実中、昭和四七年の六月期末手当をめぐって原告組合の貼付したステッカーが被告ら主張の五種で、問題とされたのは本件二種のステッカーであること、基金においては、三月、六月、一二月の年三回期末手当が支給され、その支給方式は基金創立以来三月は「一二カ月方式」、その余は「六カ月方式」で、いずれも「定率+定額支給方式」であったこと、右の各方式につき、被告基金労は六月、一二月についても「一二カ月方式」を要求し、昭和四四年五月末頃基金と交渉のうえ覚書を締結し、同年六月期末手当から右方式による支給がなされるようになり、また、基金と交渉のうえ昭和四六年五月末「定率支給方式」を採用することで妥結し、同年の六月期末手当から右方式による支給がなされるようになったこと、右ステッカーの文言中「新人のピンハネ反対」は、右一二カ月方式が新人すなわち当該年度の新規採用者にとって損であることを意味し、「定率支給は若い者がそん」の「若い者」とは基金における平均基準内給与以下の者を指すこと、原告組合が被告基金労大阪支部から本件二種のステッカーの撤去要求を受けたがこれを撤去しなかったことは当事者間に争がない。

(2) 右争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 被告基金労が前記「一二カ月方式」を要求したのは、「六カ月方式」の場合、期末手当の支給対象期間は、六月分で前年の一二月から当年の五月まで、一二月分で当年の六月から一一月までとなるが、六月と一二月の各期末手当では支給率が異なるため、どちらの対象期間中に欠勤したかにより各期末手当からの欠勤控除額が異なったため、その不平等の均等化をはかるためであった。

もっとも、新人、すなわち当該年度の新規採用者の期末手当は、「六カ月方式」によると六月は六分の二、一二月は六分の六支給されたものが、「一二カ月方式」では前者が一二分の二、後者が一二分の八と減少することとなるが、新人は入社したばかりで企業への貢献度も低く、他方、初任給等は大巾に引上げられていることから右の点は止むを得ないものとした。

また、「定率支給方式」を要求したのは、同方式は「定率+定額支給方式」より新規採用者等平均基準内賃金以下の者にとって不利になるが、企業への貢献度を考慮し在職者を優先するとの観点から右の点も止むを得ないとし、却って、過去において期末手当の要求をめぐって定額部分の僅かな積み上げのため基金との交渉が難航することが多かった点を回避することができ、しかもベースアップへのはね返りをも期待できるし、新人らへの不利益も初任給の大巾引上によりそれ程大きいものではないとの考えに基づくものであった。

(ロ) もっとも、「一二カ月方式」でも、例えば五月に欠勤した人は当年の六月、一二月の各期末手当から欠勤控除され、八月に欠勤した人は当年の一二月と翌年の六月の各期末手当から欠勤控除されるが、この間各期末手当の支給率及び基本給に変化があるため、右欠勤控除の不均等は依然として残り、却って、支給方式の如何に拘らず基金職員の期末手当に当てられる原資が一定であるため右減少分だけ他の職員の受取額が増額する結果となり、また「定率支給方式」でも、基金の賃金体系の基本が他の諸企業と同様年功序列型であるため、「定率+定額支給方式」に比し全職員の平均給与以上の人と以下の人との賃金格差がより大きくなる結果となった。

(ハ) 一方、基金は、被告基金労との間で、期末手当の支給方式を右各方式によると協定した以後、全基労の従来の「六カ月方式」、「定率+定額支給方式」による期末手当の要求に対して、「一二カ月方式」、「定率支給方式」の方が合理性があるとか、大多数の職員の加入する被告基金労と協定したことなどを理由に、以後の各期末手当交渉において右方式による回答しかしなくなった。これに対して全基労は、右各支給方式では右(イ)、(ロ)のように新規採用者、あるいは平均基準内給与以下の者に不利益となり、また、平均基準内給与以上の者と以下の者との格差が拡大し組合員の団結面に悪影響を与えるとして反対し、爾来毎期末手当毎に従来の各支給方式による要求をしてきた。

(ニ) ところで、被告ら組合及び全基労、原告組合が昭和四七年度の六月期末手当闘争の渦中にあった五月末頃、全基労は前記三認定のとおり従前の各支給方式による要求を掲げ、原告組合は右要求に向けた支部段階でのステッカー闘争の際に、右「一二カ月方式」の問題点を端的に指摘するものとして「新人のピンハネ反対」の、右「定率支給方式」の問題点を指摘するものとして「定率支給は若い者がそん」の各文言を使用したものであり、右各文言の意味が前認定のとおりのものであることは被告基金労大阪支部組合員にほぼ了知されていた。

なお、昭和四七年当時全基労組合員に新規採用者はいなかったが、平均基準内給与以下の人は存在した。

また、原告組合はこれまでにも右各支給方式に反対するため、ステッカー、掲示板、壁新聞、吊り看板等に右各文言を使用してきたが、本件時までに大阪基金及び被告ら組合から問題とされたことはなかった。

(ホ) なお、昭和四七年六月期末手当をめぐる被告基金労の基金との交渉は最終的に同被告中央三役等中央執行委員らに一任されて中央で行われ、五月一五日に要求書を提出し、同月二二日に第一次回答、同月二五日に第二次回答、同月二六日に第三次回答が示めされ、同日午後七時一〇分頃に妥結したが、このため連日にわたり団体交渉を重ねた。

この間、右第二次回答後更に有利な回答を引き出すべく団体交渉中の同月二五日午前中に、前記四、1、(一)、(1)認定のとおり同被告の地連議長の被告井上及び阪口委員長から本件二種のステッカーに関する報告があり、かつ指示を求めてきたため、右団体交渉に当っていた中央役員らは、被告基金労大阪支部の混乱を防止するため右団体交渉を一時中止してその対策を協議し、翌二六日被告井上及び阪口委員長に指示をした。

なお、被告基金労から被告基金労大阪支部に対する六月期末手当妥結の通知は六月二七日午前一〇時頃になされた。

以上の事実が認められ、(人証略)の供述中前認定に反する部分は容易に措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(3) 以上認定の事実によれば、基金は被告基金労と期末手当の支給方式を「一二カ月方式」、「定率支給方式」と決めた以後、全基労の反対に拘らず同組合の従来の各支給方式による要求に応じず、新たな各支給方式による回答を固持し、このため全基労は従来と同様、昭和四七年の六月期末手当においても従来の各支給方式による要求を掲げていたものであり、本件二種のステッカーも他の三種のステッカーと共に原告組合が全基労の右要求実現のため基金及び大阪基金に向けられたことは明らかであるから、正当な組合活動の範囲内のものというべきである。

もっとも、当時全基労には「若い者」の数は少なく、「新人」もいなかったのに反し、被告ら組合には「新人」、「若い者」は多数おり、また、新たな各支給方式を推進したのは被告ら組合であるから、本件二種のステッカーの「新人」が「ピンハネ」され、「若い者」が「そん」をする(ピンハネし、得をするのは基金ではなく、「新人」、「若い者」以外の基金職員である)との表現と相俟って、同ステッカーが被告ら組合をも批判することになるのは必ずしも否定できず、同被告らがこの点をとらえて組織介入をはかるものと主張することも、前記二認定の従前の経緯に鑑みあながち根拠のないことではない。しかしながら、同ステッカーは右のとおり直接的には基金に向けられたもので、これによる被告ら組合に対する批判も反射的、間接的なものに過ぎないし、その文言自体も、稍不穏当のきらいがないではないが、新たな各支給方式の採用によって生じた前認定(2)、(イ)及び(ロ)の従来の各支給方式との相違点を端的に表現したもので、それ自体は必ずしも間違いとはいえず、しかも、新たな各支給方式の適用を迫られている全基労としては、これに反対し従来の各支給方式による要求を獲得するため、組合の所属如何を問わず広く他の労働者にその要求のゆえんを訴えて理解と共感を得んとすることは、経済的地位の向上を目指す労働組合として、「新人」、「若い者」の有無を問わず当然なしうるところであり、従って、右一事をもって被告ら組合に対する組織介入に当るということはできないし、これにより同被告らが右程度の反射的、間接的批判を受けても、なお受忍限度の範囲内のものというべきである。

してみると、被告ら組合の正当防衛の主張は、防衛の前提となる原告組合の不法行為がないから、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない(ちなみに、右認定事実によれば、本件二種のステッカーの文言自体はこれまでにも使用され、かつ被告ら組合から何ら問題とされたことはなかったのであり、前記四、1、(一)、(1)認定のとおり今回同被告らの一部組合員から右ステッカーが組織介入をはかるものとの批判の声があったとしても、それ以上特段の組織混乱等が被告基金労大阪支部に生じたことは本件全証拠によるも認められないから、本件ステッカーの撤去がやむを得ない行為であったということもできない)。

五  名誉毀損

1  まず、被告ら組合は、原告組合の名誉毀損の主張は時機に遅れた功撃方法である旨主張し、成程、請求原因3、(二)の主張がなされたのは本件証拠調終了後の昭和五二年五月一六日の第一七回口頭弁論期日であることは当裁判所に顕著な事実であるが、右主張のうち、(1)、ロ、(ニ)を除くその余の部分は、既に昭和四八年二月二〇日の第一回口頭弁論期日において、本件訴状三、(五)項に基づき「不法行為の具体的事実」の一部として概括的に主張していたところを、その後の証拠調の結果に基づきより詳細に主張したに過ぎないことも当裁判所に顕著な事実であり、また、右(1)、ロ、(ニ)の主張も既に取調べた証拠に基づきその余の名誉毀損の主張に追加したもので、従って、これらの主張により新たな証拠調をする必要はないから本件訴訟を遅延させる虞はなく、また、これにより被告ら組合の防禦の機会を奪い、あるいは同被告らが防禦を尽せなかったとも認められないから、同被告らの主張は理由がない。

2  名誉毀損の成否

(一) 請求原因3、(二)、(1)、ロの事実中、(ハ)の事実は当事者間に争がなく、(証拠略)によれば、(ニ)の事実も認めることができ、また(証拠略)によれば、被告基金労大阪支部が五月三〇日別紙(イ)の壁新聞を作成し同被告掲示板に掲示したこと、被告基金労が六月五日別紙(ロ)、(ハ)の各壁新聞を作成し、その一部の支部の掲示板に掲示させ、被告基金労大阪支部も右各新聞を掲示したこと(但し、別紙(ハ)については六月七日付で表題部分が少し異なるが内容はほぼ同旨)が認められる(以下、右の各記事を「本件各記事」という)。

(二) 右(一)掲記の証拠及び認定事実に、(証拠略)を総合すると次の事実が認められ、他にこれに反する証拠はない。

(1) 本件暴力行為のなされた後、阪口委員長は、被告張間から事情を聴取し、被告基金労大阪支部の和多田書記長らと相談のうえ、本件第一、二回ステッカー撤去の経過と暴力行為につき、電話で被告基金労に報告した。

(2) 原告組合は、本件暴力行為のあった翌々日の五月二九日(月曜日)、被告基金労大阪支部に対し、「抗議文」と題する書面で、本件第一、二回のステッカー撤去が基金と一体となった同原告に対する組織介入であり、本件暴力行為も意識的、集団的になされたものであるとして、厳重に抗議すると共に、社会的に糾弾を受けるまで可能な限りのあらゆる方法をもって同被告の責任を追及する旨通告し、また、大阪基金に対しても「抗議文」と題する書面で、本件暴力行為についての基金側の対応、管理責任を追及し、本件暴力行為を容認したとしてその反省を促す旨通告した。

(3) また、前記四、1冒頭で認定したとおり、同日被告基金労大阪支部により第三回目のステッカー撤去がなされたため、原告組合は阪口委員長ほか九名の同被告役員を含む組合員を被申請人として、大阪地方裁判所に本件二種のステッカーを撤去してはならない旨の仮処分申請をなし、同日その旨の決定を得、右決定は翌三〇日大阪基金事務所において原告組合の支部執行委員立会で右被申請人らに送達された。

(4) 被告基金労大阪支部は、右(2)の抗議を受けた翌日別紙(イ)の壁新聞をその掲示板に掲示したが、これに対し、原告組合は六月五日同被告に、「通告」と題する書面で、右壁新聞が本件暴力行為を反省するどころか、問題をすりかえ事実を歪曲して原告組合にその原因があるかの如く宣伝し、事実を隠蔽しようとしている旨前置きして、各項目毎に、「事件の発端は基金労のステッカー撤去にある」、「会談を拒否したのは基金労幹部である」、「暴行行為の責任はあげて基金労幹部にある」、「いかなる理屈を並べても暴力行為は正当化できない」との見出しをつけ、事実関係につき反論すると共に、「基金労幹部と張間武に対し、ステッカーの撤去と集団暴行傷害事件の非を認め速かに謝罪すると共に西野執行委員に係る治療費を支払うことを要求する」と通告した。

また、大阪基金は右(2)の抗議に対し、五月三〇日原告組合に「通知」と題する書面で、大阪基金は両組合間の問題には介入しないが、しかし両組合間の紛糾を放置し、本件暴力行為を容認したことはない。右抗議は事実を歪曲したものである旨反論したが、これに対し、原告組合は六月二日大阪基金に「通告書」と題する書面で、右通知の記載内容こそ事実に反するもので、自己の責任を免れ、被告基金労大阪支部の不法行為を庇うものである旨通告した。

(5) これに前後して、被告基金労は本件ステッカーの撤去及び暴力行為に関し、前記阪口委員長の報告等に基づき別紙(ロ)、(ハ)の壁新聞を作成して、前記2、(一)のとおり被告基金労大阪支部を含む一部支部にこれを掲示させ、他方、全基労は六月一一日本件ステッカーの撤去及び暴力行為に関する原告組合と被告ら組合及び大阪基金との経緯を「大阪支部、ステッカーはぎとり、暴力行為事件について」と題する文書にまとめ被告ら組合及び基金の不当を訴えた。

(6) 同月一五日、原告組合は原告西野と連名のうえ、阪口委員長に対して内容証明郵便で、本件暴力行為につき先になした謝罪及び治療費の支払を同月一九日までになすよう要求し、これがなされない時は刑事上、民事上の法的手段を含む必要な措置を講ずる旨通告すると共に、同旨の通告文を被告張間、同井上、同泉本及び和多田書記長に送付し、これに対して、右阪口委員長ほか四名は連名のうえ原告組合に対し内容証明郵便で、右通告が無根の事実に基づくものであるとして抗議すると共に、被告基金労大阪支部の職場集会中に原告西野らが写真機を持って乱入し、同被告ら組合員の抗議に拘らず撮影を繰り返したことが本件紛糾の原因で、右は原告組合の組織攪乱を狙いとするものであり、同被告らこそ被害者であるから、逆に慰藉料五〇万円の支払を求める旨通告し、これに対して、更に原告組合及び原告西野が、七月二六日右阪口委員長ほか四名に対し内容証明郵便で、同人らの右通知書こそ事実に反する本末転倒、言語道断のものであると抗議すると共に、重ねて前記謝罪及び治療費の支払をするよう通告した。

(7) この前後にかけ、被告基金労は、前記(一)認定のとおり、その中央機関紙「うずしお」に前認定の記事を掲載し、これを組合員に配布したが、右記事も前記阪口委員長の報告に基づき作成されたものである。

被告基金労大阪支部は、このほか、六月一二日に「基金労組三原則を改めて確認しよう ―全基労の意図する組織破壊工作を粉砕するため―」との見出しの、同月二四日頃「運動方針のもと支部活動を強化」、「仮処分決定は申請に対する保全」との見出しで、原告組合に対する被告ら組合の組織強化を訴える内容の壁新聞をその掲示板に掲示し、五月二九日から六月八日頃にかけ、本件紛争に関し全基労に対する抗戦と団結を訴えて同被告に寄せられた被告基金労の全国各支部からの激励電報、激励文をその掲示板に掲示している。

(三)(1) 前記四、1及び右(二)の認定事実によれば、別紙(ハ)の記事はさて措き、その余の本件各記事はいずれも前記四、1の認定事実を必ずしも正確に表現したものではなく、殊に原告西野らが被告基金労大阪支部の職場集会に乱入したとの点及び被告張間の暴行が単にフィルムを返すよう求めて伸ばした手が触れたに過ぎないとする点は明らかに事実に反するものであり、またその見出しが刺激的であることと相俟って、全体として本件暴力行為の原因及び非が専ら原告組合にあり、かつこれに関して同原告が不当な虚偽宣伝を行なっているかの如き印象を与えるものとなっている。

しかしながら、右の明らかに事実に反する部分については、前記四、1の認定事実によれば、前者については、原告西野らが三階事務所に抗議にきた時には被告基金労大阪支部の職場集会は一応終了していたとはいえ、なおこれに接着した時間で、同所を職場としない組合員も残っており、かつ阪口委員長ら支部役員ほか一部組合員により撤去したステッカーの処理問題を検討する必要もあったと推認されること、後者についても、被告張間の前記暴行は原告西野らに抗議し、フィルムを返すよう迫っていた過程において生じた偶発的なもので、計画的なものではないことを考慮する必要がある。

また、その余の部分についても、前記四、3、(二)、(3)認定のとおり、本件二種のステッカーが反射的、間接的にせよ被告ら組合を批判する結果を招来することは否定できず、従って、同被告らが、右ステッカーが同被告らの組織への介入をはかるものと受け取ったとしてもあながち的はずれともいえないし、更に、原告西野らの抗議それ自体は原告組合の組合員として正当かつ当然の行為ではあるが、それ以上に右のような対立組合の職場集会終了後これと接着した時間に敢て写真機を持ち込み、その抗議の状況等を撮影し、剰え右写真撮影等に対する被告基金労大阪支部組合員らの激しい抗議により場内が騒然となったに拘らず、なおも刺激的言辞を発し、写真撮影を続け、また続けようとして同組合員らを刺激したことも更に事態を紛糾させ、同被告による第一、二回のステッカー撤去と共に本件暴力行為誘発の一因となったことは否定できないところであり、従って、被告ら組合が原告組合こそ本件暴力行為の張本人であるなどと記載したことも、その表現にやや行き過ぎのきらいがあるにしても全く根拠のないことではない。

更に、前記二、四及び右(二)の各認定事実を総合すると、全基労、そして原告組合と被告ら組合とは、全基労からの集団脱退以来その経緯もあって思想上の点においても、労働運動の方針、取り組み方等の点においても顕著な対立を示し、相互に機関紙、教宣ビラ等により相手方組合の組合活動を批判し、厳しく反目、確執し合っており、このことは基金職員の間では周知の事実であり、他方本件各記事はいずれも被告ら組合の機関紙ないし掲示板に掲示され、その組合員らに向けられたもので、基金職員以外の一般第三者を対象としたものではなく、従って、右記事により原告組合の社会的評価が左程低下したとも考え難く、また、右記事は被告ら組合が積極的かつ先制的に掲示したというよりも、本件ステッカーの撤去及び暴力事件につき原告組合から抗議を受け、更に謝罪と治療費を請求されたため、被告ら組合の動揺と混乱を防止し、右事件に関する被告ら組合の見解を明らかにして組織の統一と団結を保持するためなされた面も窺える。

以上のような従前の両組合の対立の経緯、別紙(ハ)を除く本件各記事の内容と掲示に至る経緯、動機、方法等の客観的事情のもとにあっては、右記事はいまだ名誉侵害行為には該当しないと解するのが相当である。

(2) 次に別紙(ハ)の記事につき検討するに、同記事が他の本件各記事と一連のもので、本件ステッカーの撤去及び暴力事件を契機として作成掲示されたものであることは右(二)の認定事実から明らかである。しかしながら、その内容は他の記事と異なり直接には本件事件には触れず、その他原告組合独自の組織、活動を批判したものではなく、専ら原告組合の上部組織である全基労の組合活動、方針等を批判、攻撃するものである。もっとも、これにより同時に原告組合も批判、攻撃される結果となるが、それはあくまで上部組織である全基労の構成部分としての面においてであり、原告組合独自の面においてではない。従って、このような場合、本件記事により名誉毀損の成否を問題とし得るのは全基労のみであって、原告組合にはこれと別個に独自に名誉毀損の成否を争い訴訟を追行する利益はないというべきである。

(四) 以上によれば、原告組合の名誉毀損の主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないというべきである。

六  被告らの責任

1  被告ら組合―原告組合関係

(一) 法人である労働組合の不法行為責任については、労働組合法一二条により民法四四条が準用されているが、右各法条はいずれもその社団としての組織ないし活動、機能の実態に着眼したものであり、法人格の有無によって異別に解すべきものではないというべきであるから、権利能力なき社団である労働組合にも右各法条を類推適用するのが相当である。

また、右法条は純然たる取引行為に限らず、本件のような組合活動にも適用されると解するのが相当である。

(二)(1) 本件ステッカーの撤去について

前記四、1認定のとおり、本件ステッカーの撤去は被告基金労においては中央執行委員会を始めとするいわゆる組合三役ないし中央執行委員ら執行部が、被告基金労大阪支部においては阪口委員長を始めとするいわゆる組合三役ないし支部執行委員ら執行部がそれぞれ組合機関としての立場において、相はかってなしたもので、右各委員長ないし委員が被告ら組合の代表機関ないし代理的地位に立つことは(証拠略)により明らかであり、なお、前記四、1認定事実によれば、本件ステッカー撤去が被告ら組合の組合活動としてなされたもので、故意に基づくものであることも明らかであるから、被告ら組合は前記の(一)各法条の類推適用及び民法七一九条により共同不法行為として本件ステッカーの撤去により原告組合に生じた損害を賠償する責任がある。

なお、被告基金労大阪支部は前記一認定のとおり全国単一組織の被告基金労の一支部にすぎないが、前記四、1、(一)認定事実によれば、本件ステッカーの撤去は被告基金労に相談しその指示を受けてなしたものではあるが、右指示内容は細部にわたり具体的なものではなく裁量の余地を残すものであり、現に本件ステッカー撤去の具体的行動はすべて同被告執行部の指示と統制のもとに行なわれたものであるから、このような場合は同被告も被告基金労と別個に不法行為責任を負うというべきである。

なお、被告ら組合は本件ステッカーを撤去した組合員の特定が足りない旨主張するが、前認定のとおり本件ステッカーは被告ら組合が指示してその組合員に撤去させたものであるから、このような場合右の程度に、すなわち被告ら組合の指示に基づき撤去したのがその組合員であることの特定があれば同被告らの防禦に何ら支障をきたすものではないから、個々の組合員の特定がなくとも足りるというべきであり、同被告らの右主張は理由がない。

(2) 本件暴力行為について

原告西野になされた本件暴力行為が同時に原告組合の組合活動をも妨害し、その団結権を侵害する側面を有することは前記説示のとおりであるが、これに対する被告ら組合の責任の有無はさて措き、仮に同被告らに責任があるとしても、前記四、1認定のとおり本件暴力行為は直接には原告西野に向けられたもので、同原告が執拗に写真撮影をしようとしたことにも起因していること、また被告井上、同泉本の暴行は後記のとおり同原告個人に対する損害を認め得ない程度のものであるし、被告張間の暴行も偶発的なもので、原告組合の組合員に対してというよりも原告西野個人に対する一時的感情に誘発されたものであることなど、全体として個人的色彩の濃厚なものであることの諸事情を総合すると、本件暴力行為により原告西野に対する損害と別個に原告組合に団結権侵害として補填すべき程の損害が生じたと認めるに由ないものというべきである。

従って、原告組合の本件暴力行為に関する主張はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

2  被告張間、同井上、同泉本―原告西野関係

同被告らは原告西野に対し、各自前記四、1、(一)認定の暴行を加えたのであるから、それぞれ自らの行為により生じた損害を賠償する責任がある。

なお、原告西野は同被告らの行為は共同不法行為である旨主張するが同被告らに共謀の事実が認められないことは前記四、1、(二)認定のとおりであり、また、前記四、1、(一)認定事実によれば、被告張間と同井上、同泉本の暴行とはその態様、動機、結果等において全く異なるものであるから、その行為に関連共同性も認められない。

しかし、被告井上、同泉本の各暴行は被告ら組合の組合員らが前記三階事務所東北隅に同原告らを押し込めていた過程において生じたもので、その経過、態様、結果等からみて行為の関連共同性があり、従って、同被告両名の行為は共同不法行為となるというべきである。

七  過失相殺

1  被告ら組合

まず、同被告らの過失相殺の主張(抗弁及び主張3、(一))についてみるに、本件二種のステッカーの記載文言は稍不穏当であり、同被告らがこれを組織介入にあたるとしたことも全く根拠のないものではないことは前記四、五認定のとおりであるが、前記五の認定事実によれば、右の文言は本件以前にも使用されたがこれまで何ら問題とされたことはなく、従ってまた、敢えて本件ステッカー撤去を強行せざるを得ない程の緊急止むを得ない事情があったとも認め難いこと、他方、原告組合ないし全基労は未だ六月期末手当交渉の継続中であったことを考慮すると、右程度の事情は原告組合に生じた損害中、後記仮処分訴訟費用等との関係においては斟酌する必要はないし、非財産的損害との関係においてはその算定は一切の事情を斟酌して公平の観念に従ってなさるべきであるから、その一事情として考慮すれば足り、殊更過失相殺として斟酌する必要はなく、従って、被告ら組合の右主張は理由がない。

2  被告張間、同井上、同泉本

次に、同被告らの過失相殺の主張(右同4、(一))についてみるに、原告西野らの前記三階事務所立入りは正当であり、集会も既に一応終了していたが、写真撮影の点においてやや行き過ぎの面があり、これが本件暴力行為誘発の一因ともなったことは前記五、2、(三)認定のとおりであるが、右事情は、原告西野の損害中、治療費との関係においては前記四、1、(一)認定の被告張間の暴行の態様、程度、経緯からみて斟酌する必要はなく、慰藉料との関係においては前記非財産的損害の場合と同様その算定にあたり一事情として考慮すれば足りるから、殊更過失相殺として斟酌する必要はなく、従って、同被告らの右主張も理由がない。

八  損害

1  原告組合

(一) 仮処分訴訟費用等

原告組合は被告ら組合から本件二種のステッカーを三回にわたり撤去されたため、阪口委員長ほか九名の被告ら組合の組合員を被申請人として、大阪地方裁判所に右ステッカーを撤去してはならない旨の仮処分申請をなし、その旨の仮処分決定を得たことは前記五、2、(二)、(3)認定のとおりであり、右仮処分申請は被告ら組合ではなく右阪口委員長ほか九名を被申請人とするものであるが、本件ステッカーの撤去が被告ら組合の指示、命令に基づき組合活動としてなされたこと、右仮処分申請が止むを得ないものであったことは前記四、五の認定事実から明らかであるから、これに要した費用等は本件不法行為により生じた損害として被告ら組合において賠償すべきであり、前記証人橋本の証言によれば、右費用等は一〇万円と認められる。

(二) 非財産的損害

以上の認定事実によれば、本件二種のステッカーの撤去は前記仮処分決定のなされるまで三回にわたり執拗に繰り返されたもので、これが本件暴力行為をも誘発したこと、もっとも、前記仮処分決定により右ステッカーの貼付は以後確保され、かつ、その費用も前記のとおり補填されること、その他前記二認定の両組合対立の背景と現状などの諸事情を総合すると、本件不法行為により原告組合の蒙った団給権侵害等の非財産的損害は一〇万円と評価するのが相当である。

なお、原告組合は団結権侵害の回復措置として別紙(一)、(二)の謝罪広告をも請求するが、本件名誉毀損の認められないことは前記のとおりであり、名誉毀損によらない団結権侵害の回復措置としての謝罪広告の許されないことは民法七二三条に照らし明らかであるから、その余の点につき判断するまでもなく、右請求は理由がない(ちなみに、本件ステッカーの撤去及び暴力行為に名誉毀損の趣旨も含むと善解してみても、右の事情を総合すれば、各金員をもって原告組合の損害は補填されたというべきであり、更に右の如き謝罪広告をなす必要はない)。

2  原告西野

(一) 治療費

(証拠略)によれば、同原告は前記傷害の治療費として二七二三円を支払ったことが認められ、前認定のとおり右傷害は被告張間の暴行によるから、同被告において右金員を賠償すべきである。

(二) 慰藉料

(1) 被告張間の関係

同被告の暴行は前記傷害を負わせ、かつ多数組合員の面前でなされたことにより同原告の名誉を傷つけ精神的苦痛を与えたものであるが、前記本件暴行に至る経緯等に、同原告の行動にもやや行きすぎの面のあったことなどを総合すると、同原告の蒙った右精神的苦痛を慰藉すべき額は三万円をもって相当と認める。

(2) 被告井上、同泉本の関係

前記四認定事実及び弁論の全趣旨によれば同被告らの暴行は少しく執拗になされたもので、この点批判されるべきであるが、その程度は同原告らの行為に対する抗議の一環としての嫌がらせ的なものであり、他方前記のとおり同原告の行為にもやや行き過ぎの点のあったこと、その後の同原告の行動等を総合すると、多少の精神的苦痛はあったにせよ金銭賠償により補填すべき程の精神的苦痛は蒙っていないというべきである。

九  相殺

被告ら組合の相殺の主張のうち、被告基金労大阪支部の原告西野に対する部分(抗弁及び主張4、(二))は、同原告は同被告に対し何らの請求をしていないのであるから、相殺の対象となる受働債権はなく、主張自体失当というべきである。

また、原告組合に対する相殺の主張(右同3、(二))も、民法五〇九条は不法行為によって生じた損害賠償債権を受働債権として相殺することを禁止しており、同条の趣旨に鑑みれば、相殺を主張する自働債権が他方当事者の不法行為により生じたものであってもこの理に変りはないと解するのが相当であるから、その余の点につき判断するまでもなく右主張も理由がない。

一〇  結論

以上によれば、原告組合の本訴請求は被告ら組合に対し各自金二〇万円及びこれに対する本件不法行為の後である昭和四七年一二月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、原告西野の被告張間に対する本訴請求は同被告に対し金三万二七二三円及びこれに対する本件不法行為の後である同年一一月三〇日から支払ずみまで同法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分及び同原告の被告井上、同泉本に対する本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上田次郎 裁判官 安斎隆 裁判官 田中亮一)

別紙(一) 謝罪文

当組合は、貴組合が大阪府社会保険診療報酬支払基金の事務所内に貼付した「新人のピンハネ反対」と「定率支給は若い者がそん」という二種類のステッカーにつき、当組合の大阪支部に対してその撤去を指令し、かつ昭和四七年五月二十六日に右支部をして実力でその撤去をなさしめました。これは貴組合の団結権を侵害し、その名誉を毀損するとともに、貴組合の組合活動に介入したものでありますので、ここに陳謝いたします。

昭和 年 月 日

社会保険診療報酬支払基金労働組合

全国社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部殿

別紙(二) 謝罪文

昭和四七年五月二十六日、貴組合が大阪府社会保険診療報酬支払基金の事務所内に貼付した「新人のピンハネ反対」と「定率支給は若い者がそん」という二種類のステッカーを実力で撤去したことは、貴組合の団結権を侵害し、その名誉を毀損するとともに、貴組合の組合活動に介入したものであることを認め、ここに陳謝いたします。

昭和 年 月 日

社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部

全国社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部殿

別紙(イ)

”地裁へ仮処分を求めても基金労組大阪620の眼はごまかせない”

むき出した全基労の本性!!

全基労の組織介入に対し全力をあげて斗おう!

これが真相だ!

全基労は去る五月二十四日 労働組合として最も卑劣な組織介入を侵し、ステッカーを大阪基金事務所に貼付した。

この重大なことに端を発し われわれ組合員の総意に基づき全基労大阪支部支部長に対し抗議すべく会談を申し入れたところ「話し合う必要なし」といって応じなかった。

これがため基金労組大阪支部執行委員長名をもって組織介入に関するステッカーを取り外すよう五月二十五日通告書を手渡したところ全基労はみずから取りはずさないためわれわれでこれを撤去した。

われわれ基金労組の正当な理由と行動に対し 全基労は 基金労組大阪支部執行部が抗議している場に不法にも無断で突然カメラを持ち出し撮影するなどの行為を行なった。

全基労の不当性はおおいかくせない!!

五月二十七日(土)においては 当日 十二時三十分から十三時まで 大阪基金三階事務所において職場集会開催中にもかゝわらず(基金許可済)不法にも全基労組合員が会場に侵入し(西野敏 稲田隆 久保正等)基金労組大阪支部阪口執行委員長にカメラを向け撮影したため これを目撃した基金労組組合員がフィルムを返還するよう全基労組合員に要求した しかしながら 全基労組合員中 西野敏幸は同じ組合員である稲田隆の持つカメラを取り上げ三階事務所東側の隅にゆき なおもカメラを掲げ職場集会中のわれわれ組合員にカメラを向けくりかえし撮影した。

暴力行為の張本人は全基労だ!!

われわれ基金労組組合員は これらの悪質かつ卑劣な行動に対し抗議したところ 職場集会に乱入しておきながら集団で暴力行為を行使したなど己の目的と行動を隠滅し さらには われわれの同志 張間武組合員をあたかも暴徒よばわりするにいたっては もはやわれわれは断固として許しておくにはいかないなお われわれ基金労組が基金とあたかも連系しているがごとき宣伝は正常なる労働組合の判断とはおよそ思われない。

かゝる 全基労の基金労組に対する挑戦にわれわれ基金労組大阪支部 全組合員はもとより 全国の仲間 四千余名の基金労組の名において最后まで断固、斗うものである。

基金労組 大阪支部

昭和四十七年五月三十日

別紙(ロ)

暴力行為と称する

全基労悪宣伝の真相

五月二十七日十二時四十分頃基金労組大阪支部の職集に全基労組合員十二、三名が乱入、あらかじめ用意してきたカメラで集会の模様を撮影しようとしたので、集会中であった為、それをやめさせようとした組合員の手がふれたのが真相であるその後、被害者と称する男は上二(共産党病院)で全治五日間の左アゴ部打撲傷という診断を受けているが、本人は翌日(月曜日)支払基金食堂で大口あけて食事をしているのを多数の人が目撃している。

「全基労よデタラメな宣伝をするな」

あらかじめカメラを携帯して乱入したことは、彼らの挑発行為であるので基金労組四、〇〇〇余名組合員の名において全基労に抗議しよう。

昭和四十七年六月五日

基金労組

別紙(ハ)

日本共産党に指導された

全基労の組織破壊工作の実態

―日常私たちの職場で散見される彼らの動き―

これまでの労働運動の歴史では、日本共産党(以下日共と云う)の企業浸透工作のバロメーターを労働組合を掌中に収めたか否かで評価されています。日共の労組政策は「機関紙」や「報告書」や「アジビラ」で自己に有利になるような宣伝活動を行い少しでも同調者(シンパ)の拡大をねらっています。全基労が基金と行なっている地労委紛争もその現われです。そして、かつて彼らが行った職場斗争は組合占拠の現われです。

全基労の組織破壊工作の手口は

〈1〉 労組幹部と組合員との離間工作

幹部不信を高めるため、あることないことのデタラメを流布する

〈2〉 日常の職場工作

ニコニコ顔で人の世話をやき、職場の不満をうえつけ、基金労組の不信をせん動し、職集等えの出席をボイコットさせる

〈3〉 新入組合員工作

親切に接近する。基金労組の教育と反対のことを宣伝する。自分の都合のよいように(例えば期末手当の支給基準等)宣伝する

民青同(共産党青年部)、新婦人(共産党婦人部)のレクリエーションにさそう

〈4〉 事務所側の施策に対する批判工作

クチコミやウワサ戦術を使う。特に人事問題、昇格問題、合理化問題でデタラメをいいながらせん動する

〈5〉 職制に対するウワサ

職員の不満の醸成を目的で職制の私生活や個人の行動を悪意をこめてウワサを広め、不信感をあおる。

昭和四十七年六月五日

基金労組

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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